2012年12月13日

昼間のTVドラマで活躍した松木路子さん

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<松木路子さん>

 1970年代初め、数多くの昼帯ドラマ(現在の昼ドラ)のヒロインとして、清純派から不倫愛まで見事に演じ分け、“昼帯の女王”と呼ばれた松木路子さん。その後、時代劇にもちょくちょく登場していたが、最近はとんと姿を見ない。今どうしているのか。

「“ちょっとお嬢ちゃん、こっちにいらっしゃい!”と街で声をかけられ、写真を撮られたのが19のとき。それがカメラマンの大巨匠、秋山庄太郎先生(故人)だったの。その写真が週刊読売の表紙を飾り、ライオン奥様劇場『罪人形』に出るきっかけになった。それからはトントン拍子で、5、6本の昼帯で主演したのかしら」

 新宿駅に近いカフェで会った松木さん、こういって微笑した。

 え〜と、その前にちょっと待っていただきたい。正直、記者は松木さんの実年齢を知っている。読者も、「60代半ばかな」と想像はつくだろう。しかし、目の前にいる女性はどう見ても50代、それも前半。ナマ美魔女に初めてお会いした。
「フフフ、『罪人形』の監督だった主人(永野靖忠さん)と結婚して2人の子供ができてからは引退同然だったわ。ところが、20年ほど前に主人が肝臓がんで急死して。おまけに主人の治療費で貯金も底をついちゃったでしょ。で、三鷹にあった32坪の自宅を売り払い、吉祥寺に同じ坪数の3階建てを建て、1階をブティックにしたの」

 それと同時に女優に復帰した。
「ブティックとの二足のワラジは10年ほど続けたけど、経営のストレスで胸の下に帯状疱疹(ほうしん)ができたり、経理をごまかされたりといろいろあって大変だった。今はお貸ししてて、直接タッチはしてません」

 次に始めたのが結城紬(つむぎ)の着物ブランド「和輝愛愛」のデザイナー。100点ほどのデザインを手がけた。が、こちらは東日本大震災によって売り上げが急減し、去年5月に親会社が倒産。
「そう、やってはツブれの繰り返し。今は細々と、お客さんに頼まれたときデザインするくらいね。でも、このくらいじゃへこたれない。今は杉並のマンションに引っ越し、そこで生まれ故郷、博多のお料理を教える教室を開いてるの」

 キリスト教徒向け週刊紙クリスチャントゥデイで「路子の簡単愛情レシピ」を連載している。

 また、さらにこの10月からは化粧品業界にも進出。「Manna Michiko」なるブランドを立ち上げ、開発したクリームは“毒蛇エキス”がウリだとか。
「これがプチ整形並みにシワやシミが消える、スゴいクリームなのよ。間もなくネット販売しますから、奥さまやお嬢さまに教えてあげてちょうだい」

 来年は劇場用映画出演の予定もあるそうだ。
「それと今、特に力を入れてるのが1944年8月22日、多くの疎開児童たちを乗せて沖縄から日本本土へ向かう途中、鹿児島県沖でアメリカ海軍の潜水艦の攻撃を受けて撃沈され、1482人もの犠牲者を出した対馬丸の悲劇を伝えること。その朗読を通じて平和や命の大切さを訴えたいのよ」

 来年3月17日、朗読と歌のCD「永遠(とわ)の平和(しあわせ)〜対馬丸の母の祈り」を発売する。

 39歳の長男は吉祥寺でバーを経営し、5歳になる孫が1人。36歳の次男はプロゴルファーの永野敦朗だ。




日刊ゲンダイ







引用:昼間のTVドラマで活躍した松木路子さん



posted by mokapapa0131 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 最新その他ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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